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『7つの安いモノから見る世界の歴史』(ラジ・パテル、ジェイソン・W・ムーア)

『7つの安いモノから見る世界の歴史』(ラジ・パテル、ジェイソン・W・ムーア著、作品社)は、資本主義の500年にわたる進化を、労働、自然、食料、エネルギー、貨幣、ケア、生命という7つの「安価なモノ」を軸に描き出す野心的な一冊である。本書は、単なる経済史にとどまらず、環境史や社会史、植民地史を織り交ぜ、資本主義が地球と人間社会に刻んだ深い痕跡を、ジェイソン・W・ムーアの「世界生態論(world-ecology)」の枠組みを通じて浮き彫りにする。

冶金技術と貨幣:資本主義の物質的基盤

本書の第2章「安価な貨幣」は、貨幣を単なる交換手段ではなく、生態学的・社会的な関係として捉える視点で、資本主義の歴史を再解釈する。貨幣の「安価さ」—特に低金利や希少金属の供給—は、資本主義の開拓地を拡大し、労働力や自然資源の搾取を可能にしてきた。この議論の中心にあるのが、冶金技術の進歩である。例えば、15世紀の中央ヨーロッパでは、フッガー家が銀や銅の採掘・精錬技術を駆使し、ヨアヒムスタール(現在のチェコ)の銀鉱山から生まれた「ターラー」(ドルの語源)を流通させた。この冶金技術の革新は、信頼性の高い貨幣供給を保証し、商業信用の拡大や低金利の金融市場の形成を支えた。

冶金技術は、単に金属を硬貨に変える技術にとどまらない。それは、資本主義の物質的基盤を築き、環境と社会を同時に変形させる力を持っていた。本書によれば、1450年以降の銀の供給拡大は、鉱山労働者の階級を誕生させ、ドイツ農民戦争(1525年)のような社会変動を引き起こした一方で、森林の乱伐や河川の汚染といった生態学的破壊を招いた。地質学者のゲオルギウス・アグリコラの言葉を借りれば、鉱石の洗鉱は「小川や河を毒水に」変え、魚類を絶滅させた。このように、冶金技術は資本主義の繁栄を支える一方で、その代償として自然と人間の生活を犠牲にした。本書の独自性は、こうした技術的進歩を、経済的成功の物語としてではなく、搾取と破壊の複雑な連鎖として描く点にある。

ジェノバとグローバルな金融ネットワーク

本書のもう一つの見どころは、ジェノバのサン・ジョルジョ銀行を通じて、初期資本主義のグローバルな金融ネットワークを分析する点だ。ジェノバは、冶金技術によって生み出された銀を活用し、植民地支配や奴隷取引を支える金融システムを構築した。サン・ジョルジョ銀行は、コムーネの債務を管理し、領土や奴隷を金融商品として扱うことで、資本の蓄積を加速させた。驚くべきことに、奴隷取引の収益率(7~10%)は銀行の株式収益率を上回り、ジェノバの資本家は人間の命を取引の対象として扱った。この冷徹な事実は、資本主義の倫理的矛盾を浮き彫りにする。

さらに、ジェノバの資本家は、地中海東部での軍事的敗北を補うため、スペインや新世界に進出し、コロンブスの航海や植民地開拓に資金を提供した。冶金技術で生み出された銀は、大西洋を越えた交易を支え、砂糖や毛織物といった高収益商品の流通を可能にした。本書は、こうした金融と植民地主義の連動を、単なる歴史的事実としてではなく、資本主義が自然と人間を「安価」に扱うメカニズムとして分析する。その視点は、フェルナン・ブローデルやイマニュエル・ウォーラースタインの理論を継承しつつ、環境史や社会史の視点を加えることで、より包括的で現代的な洞察を提供している。

7つの安価なモノ:資本主義の全体像

「安価な貨幣」の議論は、本書の他の章と密接に結びついている。例えば、「安価な労働」では、奴隷労働や賃労働の搾取が金融システムに支えられた過程が描かれ、「安価な自然」では、共有地の囲い込みや資源の商品化が貨幣経済の拡大と連動していたことが示される。「安価な食料」や「安価なエネルギー」もまた、植民地農業や化石燃料の利用を通じて、貨幣の安価さが可能にしたグローバルな供給網に依存していた。本書の目次—序論と7つの章、結論—は、これらの要素が互いに絡み合い、資本主義の生態学的・社会的ダイナミクスを形成してきたことを体系的に明らかにする。

特に印象的なのは、結論で提示される「安価さの終焉」というテーマだ。現代の気候危機や経済的不平等は、安価な貨幣や資源に依存してきた資本主義の限界を露呈している。本書は、新自由主義時代の高金利危機(1979年のボルカー・ショック)から低金利の長期化、そして金融化の加速を辿り、こうした金融システムが社会生態学的危機を先送りしてきたと指摘する。冶金技術がかつて銀を硬貨に変え、資本主義の拡大を支えたように、現代の金融技術は危機を隠蔽するツールとして機能してきた。しかし、その限界は明らかであり、持続可能な未来には新たなパラダイムが必要だと本書は示唆する。

評価と限界

本書の強みは、冶金技術や金融ネットワークといった具体的な事例を通じて、資本主義の複雑な仕組みを多角的に描く点にある。ブローデルやウォーラースタインの理論を基盤にしつつ、環境破壊や社会運動を積極的に取り入れることで、従来の経済史に新たな光を当てる。また、読み物としての魅力も高く、ジェノバの奴隷取引や農民戦争のエピソードは、歴史の暗部を鮮やかに照らし出す。

一方で、限界も指摘しておきたい。議論は広範で刺激的だが、実証的データの裏付けが不足している箇所があり、特に冶金技術の影響や銀の産出量の数値については、さらなる検証が必要かもしれない。また、現代の金融システム—デジタル通貨やグリーンファイナンスなど—との接続がやや希薄で、歴史的分析の現代的応用に期待する読者には物足りなさを感じるかもしれない。さらに、ジェノバやフッガー家に焦点を当てる一方で、同時期の他の金融中心地(例:アムステルダム、フィレンツェ)との比較が少ない点は、グローバルな金融史の全体像を求める読者にとってやや偏りに映るだろう。

結び:歴史と現代をつなぐ一冊

『7つの安いモノから見る世界の歴史』は、冶金技術が硬貨を生み、貨幣が世界を変えたように、資本主義が自然と社会を再編してきた歴史を、鮮やかかつ批判的に描き出す。学際的で挑戦的な本書は、経済史や環境史に関心のある読者だけでなく、現代の危機を歴史的文脈で理解したいと願うすべての人に薦めたい。ページをめくるたびに、資本主義の「安価さ」がもたらした繁栄と破壊の両面が、まるで銀の硬貨のようにくっきりと浮かび上がってくるだろう。

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